当ルームで出会う不登校の事例についてお話しています。
A君が学校に行かなくなるまでの様子
A君は小学校までは問題なく学校に行っていました。
友達も多く、先生からも褒められることが多かったお子さんでした。
ちなみに、小学校では生徒会長をしたりしています。
周りから頼まれることも多く、断り切れないA君は引き受けることが多かったようです。ちなみに、塾には毎日言っており、勉強での躓きも全く見られませんでした。
中学校に上がると、陸上部に入りました。
最初の頃は部活に勉強に頑張っており、他の小学校の友だちともすぐに仲良くなれて、楽しそうに学校に行っているように周りから見えました。
ところが、6月ごろから「頭が痛いから休んでいい?」と訴えるようになりました。
その時は1日休ませるとその後は問題なく登校することができましたが、だんだんと週に1回、週に2回と増えていきました。
れでも7月までは頑張って登校し、夏休みは部活を中心に頑張って過ごしていました。
しかし、夏休み明けに入ると、「学校に行きたくない!!」と言い出し、学校に行かなくなりました。
先生もびっくりして家庭訪問に行きますが、先生とも会おうとはしません。
お父さんやお母さんが「なぜ学校に行きたくないのか?」と聴いても教えてくれず、家族の中もギクシャクしていきました。
不登校になった後の様子
お父さん、お母さんは「これじゃだめだ」と言うことで、スクールカウンセラーに相談に行ったり、セミナーや勉強会に行ったりします。
わかったことは「登校刺激を与えてはいけないこと」と「家族関係をよくすること」。
幸いにも夫婦仲はよく、二人でA君のことを話し合うこともできていたので、すぐに実践しました。
しばらくして、家族仲は良くなり、A君は両親とも話せるようになります。
しかし、将来のことになると急に不機嫌となり、部屋に閉じこもることも増えてきました。
友だちとは仲の良いことはラインでつながっているようですが、担任の先生とは会おうとはしません。
ただ、A君が好きな先生が来たときは会うことができました。
ちなみに、別室登校や保健室登校を提案しても行くのを拒否します。
「あんな所に行って意味があるの?」と返されると、両親も何も答えることができません。
そうした中で中2の秋ごろに、当ルームにやってきました。
なぜ行けなくなったのか
お母さんを中心に支援をしていきました。
ただ、ここで考えないといけないのは、「なぜ行けなくなったのか」その原因を明確に理解しないといけないということです。
ここでポイントとなるのは、小学校の時は問題がなく、周りからの信頼も厚かったこと。
これは不登校のお子さんには結構多いのです。
小学校の時は優等生で、先生からも頼られるような子が突然不登校になります。
心理学では「抑え込まれていたから、自分を表現するために不登校になった」とか言われます。
あながち間違ってはいません。
でも、半分不正解だと思っています。
なぜなら、分かったようでわからないよう表現だからです。
私はこの場合、A君は周りに合わせる力、周りの空気を読み取る力が抜群にできる子だったんだろうと思います。
つまり、相手の気持ちを読む感性に優れていたお子さんだということ。
一方で、相手に合わせてしまうために、自分の気持ちを出さないで生きてきた子であるともいえるのです。
この辺りは生まれつきであることもありますが、周りの空気や雰囲気を察知しすぎるために、自分の気持ちを出す機会が持てなかった子ということです。
そして、中学校と言うのは、学校のルールに合わせることを強いる場です。
その中で、学校やクラスの雰囲気に知らず知らずのうちに巻き込まれてしまい、潰れかけた結果、A君の本能が「身を守るために」不登校を選択したのだろうと考えます。
まずは、このA君の不登校の背景を理解していくことが第一となります。

考えられる手立て
さて、こうなってくると次にするべき対応は、A君が将来生きていくための力をどう育てていくかです。
幸いにもA君とご家族の関係は良好でした。
なので、ご家族の力でA君の生きる力を伸ばしていくことは十分可能です。
まず、お母さんにはA君の心理状態を理解する方法を伝えたり、一緒に考えていきました。
多くの方はノウハウを求めがちですが、実はこの「理解」がとても大切です。
これをおろそかにするとどんな関りも意味がありません。
あと、お母さんにはA君の気持ちを理解するための話の聞き方もお伝えしました。
これだけでも大きな変化があります。
1か月後にお母さんに話を聞くと、A君が今までとは違うくらい生き生きとした顔で過ごしているとのことでした。
またお母さん、お父さんも以前はどこかA君に気を使っていたところがありましたが、それがなくなってきたと話してくれました。
これは非常に素晴らしいことです。
まず親子が気を使わなくて済むということが大切です。
それができないと将来の話をすることはかなり難しくなります。
中3の時に、お母さんはA君に対して「将来どうする?」と話をし出します。
さらに「あなたの人生だから、あなたが進みたいように選んでも大丈夫。親としてしっかりと応援をしていきたい」と付け加えます。
その時A君は黙っていました。
お母さんも「早かったかな?失敗したかな?」と不安になっていましたが、一方で「まあ、大丈夫か」とドンと構えているところもありました。
1ヶ月くらいたって、A君がお母さんとお父さんに対して「まずは別室登校から頑張って高校受験を考えたい」といきなり言いました。
お父さん、お母さんはびっくりです。
正直、無茶苦茶嬉しかったのですが、そうした気持ちを押さえて「大丈夫?無理していない?」と返します。
「うん、大丈夫」とA君は言います。
その後、お父さんとお母さんは話し合って、
- いつから別室登校に戻るのか?
- 時間や日数は?
- 何時に帰るか?
- どうやって先生に伝えるか?
- などを決めていきました。
その後は、A君自ら学校の先生に話をし、3年生の7月ごろから別室登校を開始します。
最初は週に2日程度からのスタートです。
こうしてA君の学校復帰が始まりました。
A君のその後
A君はその後、何度か学校を休んだりしながらも登校を続けました。
あまり、友達と関わることはありませんでしたが、同じ別室登校に通っている男の子と仲良くなり、ラインとかで励まし合ったりしている様子も見られています。
体育大会や文化祭は一緒には参加しませんでしたが、離れて見学することはできています。
高校は普通の公立高校は難しいので、単位制を希望し、無事に合格しました。
卒業式は一緒にというわけにはいきませんが、放課後に校長室で卒業証書を受け取りました。
このケースではA君とは一度も会っていません。
ただ、お母さんの話を聞いていると、いろんなことに挑戦しているようです。
最近は、YouTubeのチャンネルを立ち上げたらしく、生き生きとしてるのがお母さんを通してわかりました。
この時のお母さんの話が印象的でした。
「今までならこの子がYoutuberやっていると聞いたら、必死になって止めていたと思います。
多分、あの子はそれをされたら黙って言うことを聞くと思います。
でも、そうするとあの子の心を押し込めてしまうんですね。
それがよくわかりました。
多分、私があの子に甘えてて、それであの子の良さを押し込めてきたんだろうなと思うようになりました。
不登校になってくれて本当に感謝しています」
この言葉は多くのお母さんが話してくれる言葉です。
ちなみに、A君は単位制の高校で順調に単位を取りながら、余った時間でバイトをしたり、友達とオンラインで打ち合わせしながらYouTubuの動画作成を作っているそうです。
ただ、恥ずかしいのか、親には見せてくれず、動画も教えてくれないのが残念です(笑)